2014年9月30日火曜日

パワースポット久能山東照宮

徳川家康公の墓 久能山東照宮

静岡市の駿河湾沿い、シーズンにはイチゴ狩りで賑わう久能海岸にそびえ立つ久能山、その山頂に、久能山東照宮はあります。

まだあまり知られていないことですが、この久能山東照宮、全国に二百以上もある東照宮の元祖で、1616年の4月17日、徳川家康公が薨去(こうきょ:亡くなること)されたその日に、家康公の遺骸が埋葬された場所です。

生前の家康公は、「久能山は駿府城の本丸だ」とも言っていて、将軍職を息子の秀忠公に譲り、自分は駿府城(静岡市の中心部にあったお城)で大御所として実権を握っていたのですが、久能山を特別な場所と見ていたことが知られています。

家康公は遺言として、「自分が死んだら久能山に埋葬せよ」ということと、「一周忌が過ぎたら日光に分祀せよ」ということを側近たちに言い遺していますから、忠誠心が強かった江戸幕府中枢にいた人たちは、この遺言=御遺命を厳しく守りました。

ところが、一周忌が近づいてきた1617年の3月15日、「御遺命に反して家康公の遺骸を日光へ運んだ」と見せる、大掛かりなトリックが行われたのです。指揮を執ったのは、家康公と江戸幕府の宗教大臣ともいうべき天海大僧正こと南光坊天海でした。

天海はそもそも、家康公がこのような御遺命を遺す上でも重要なアドバイスをしていたはずで、その張本人が御遺命に反することをする理由はありません。

行われた「改葬」というのはつまり、トリックだったのです。そのトリックによって、「徳川家康公の御遺骸は日光にある」と信じられるようになってしまいました。

このあたりの事実について、アドマック出版では『季刊すんぷ』というフリーペーパーを発行し、詳しく検証しています。創刊号は11月1日、久能山東照宮にて無料で配布します。

同時にサイトも開設していて、そちらでも詳しいことを確認していただくことができますので、是非、読んでみてください。
さて、パワースポットということについてですが、以下のような背景があります。
  1. 徳川家康公が特別な場所であるとしてきた。
  2. 江戸幕府が、日光を墓所と見せて久能山を本当の墓所として守ってきた。
  3. 駿河湾の東西の岬の西側「御前崎」と富士山を結ぶ直線上のほぼ中央にある。
  4. 久能山東照宮は御前崎に向けて建てられており、社殿で拝むと富士山も拝むことになる。
  5. 御前崎→久能山→富士山の延長上に日光がある。
  6. 駿河湾の両端「御前崎」「石廊崎」と久能山を結ぶ三角がほぼ正三角形になっている。
  7. 京都から見て真東の方角、日の昇るところにある。
  8. 家康公の御遺骸は真西に向けて蹲踞(そんきょ)して埋葬されている。


・・・というようなことですが、まだ行ったことのない方は是非、行ってみてください。その神聖な空気というのは、日光よりもずっと深いものがあると感じられるのではないかと思います。すごいところです。