2014年7月16日水曜日

人を尊敬することで、私たちは幸せになることができます。

年をとるにつれて、だんだんおかしくなってしまう人がいます。もちろん、ご年配の方に限らないことで、若い人たちにも見られます。心が健康でなくなってくるのです。

心の健康にとって脅威になるのは、自分の思考です。

思考は自分の道具であって、本来は自分が自由に使うべきものです。思考を自由に、正しく使っている限りは、心の健康にとって脅威になるということはありません。脅威になるのは、思考=自分としか思えなくなってしまい、思考という道具の使い手、つまり思考の主人である自分が、いつしか主人でなくなってしまうことによるものです。

「思考」といわれてピンと来ないということもあるかもしれませんので、具体的なお話をしてみます。

私たちは、人を尊敬するために生きています。

人を心から尊敬し、尊敬する相手が一人でも増えてくることによって、私たちははじめて幸せになることができます。

ところが、これは家庭や学校の教育、または社会が共有する価値観のせいなのかもしれませんが、私たちは “尊敬すること” よりも、なぜか “尊敬されること” を良いことと考えてしまいがちなのです。「人から尊敬される人になりなさい」と教えられて育ったり、「人に感謝されるように生きなさい」と教えられて育ったりしているのかもしれないということです。

せっかくの人生を生きていくのに、幸せになれないということは、とてもつらいことです。人生の目的が何なのか、まったく理解できていなかったり、間違っていたりすれば、幸福になるのは、本当に大変なことになってしまいます。

人よりも経済的に豊かになること、人よりも美人で気の利く奥さんをもらうこと、人よりもイケメンで優しい旦那さんに嫁ぐこと、そして、人から尊敬されるようになること、人から感謝されるようになること・・・。こういった考え方が、幸せになる近道なら良いのですが、実際は違うのです。

幸せになる一番の近道は、自分の方から人を尊敬することです。
尊敬される人になるように努力することではないのです。

尊敬される人だからといって、幸せとは限らないことは、数多くの有名人など見ていればわかることです。

芥川龍之介、太宰治、川端康成。日本人なら誰でも知っている、偉大な文学者たちですが、例えばこの三人は、三人とも自殺してしまいました。

「自殺しても、日本中から尊敬されているから、良いのだ。」と、あなたは考えますか?

この三人はとても偉大で、多くの人びとに素晴らしい文学作品を提供してきました。作品に触れることで、幸せになったと感じる人も多いことでしょう。少なくとも、日本の文学史に欠かすことのできない存在だということはいえると思います。

しかし当の三人は自殺してしまったのですから、幸せな人生を生きたとはいえません。自殺という行為がいかに愚かで、周囲の人々や社会を動揺させる行為であるかということは、議論の余地などないのです。自殺は社会ぐるみで撲滅を目指す行為です。その意味では殺人や強盗などの犯罪と同等です。

立派な文学作品を残すことで、三人は大きな社会貢献をしましたが、だからといって、自殺したことまで社会が肯定することはできないのです。社会貢献や、人類全体に対する貢献がいかに大きなものであっても、それをもって自殺を正当化することはできません。

つまり、 “人からどれほど尊敬されているか?” ということは、その人の幸せを測る尺度にはならないということです。これこそが否定しようのない事実なのです。

人が自殺をするのは、人という尊い存在そのものが、人の道具にすぎない “思考や感情” によって、存在を否定されること=殺されることを意味します。これは殺人についても同じことです。 “思考や感情” が他者の存在を否定する=殺すのです。自己の存在を否定するのが自殺で、他者の存在を否定するのが殺人です。この意味でも、自殺は殺人と同等だということができます。

それでもまだ、自殺という行為を人生のかっこいい締めくくり方だと思う人がいるとすれば、その人もまた、存在よりも思考が重いと考えていることになります。その人もまた、思考に殺されようとしている存在だということになるのです。

思考や感情よりも尊いのは、その人の存在そのものです。

その人の存在そのものが、思考や感情を道具として従えて、持ち物として自由に正しく使うことができれば、その人は幸せになることができます。自殺や殺人などとは無縁で、周囲の人々や社会と美しく共鳴し調和して、美しく幸せな人生を送ることができます。

以上のようなことが、間違いのない事実です。

この事実を受け入れない人、この事実に気づかない人、気づかないまま思考を主人として生きてしまう人は、幸せになることを極めて困難なこととして生きています。

年をとるにつれて、だんだんおかしくなってしまうというのは、こうしたところに大きな原因があるということが多いのです。