2014年5月16日金曜日

思考では解決しない、思考の問題。

「もっと思考せよ!」ということを言われて私たちは育ったのかもしれません。「思考を停止させてはいけない!」とも言われたかも…。

しかし本当に求められている想像力とは、 “もし脳みそがなかったら?” という状態を想像することなのかもしれません。脳みそと言わず、それは思考と言うべきでしょうけれども、 “何も思考しない自分” を想像できますか?

もし、「まったく想像できない!」ということなら、少しの間でかまいません。それを実際にやってみることをおすすめします。

座禅を組んでの瞑想もそのひとつですが、実は無意識のうちに、私たちは思考しない時間をしっかりもっていたりもします。

例えば映画を見ている時。ハラハラドキドキしながら、その展開を見つめている時。あるいはカラオケなどで歌っている時。バンドを組んで演奏に集中している時もそうです。走ることが好きなら、黙々と走っている時は何も考えていないでしょうし、ただぼーっとしている時があれば、その時も、何も考えていないことでしょう。何も考えない時間に大事なインスピレーションを受けるということもよくあります。

帰宅する夫が疎ましいと思う奥様には、こんな “もしも” を考えてみていただきたいものです。

つまり、夫は一日、テロリストに人質に取られていた。ひどい暴力を受け、いつ引き金が引かれるかわからない銃口を向けられていた。身も心もボロボロになって、なんとか解放されてやっと帰宅した…。

そんな夫に対して、まだ「疎ましい」と思えるでしょうか? 疎ましいのは、実は夫その人ではなく、自分自身の思考なのです。人質から解放されて帰宅した夫に対しては、それまでの煩わしい思考がふっと消えています。そして夫が無事帰ってきてくれたことにほっとするのです。まさかそこで「靴の脱ぎ方」に小言は言いません。何もかもしてあげようという気持ちでいっぱいになっているからです。

それでもなお、「なぜ殺されてくれなかったの?」と、鬼のように思うようなら、その奥様は完全に、自分の思考の奴隷になっているのです。