2014年4月21日月曜日

“いじめ” とは? “人の尊厳” とは?

何気なくつけて聴いていたテレビ番組で各政党の政治家先生たちが、道徳教育のあり方について話していました。

その中で問題にされていたのは学校で自殺者まで出ている「いじめ」の問題です。

「いじめは悪いと簡単にいうが、誰でもいじめはしてしまうものだという前提に立つことが大事」

「人間の尊厳に関わる問題であり、教科にするのは難しい」

などといった発言が出ていましたが、政治家の先生に限らず、この問題の専門家の先生方や、教育現場にいる学校の教員の先生方は、そもそも「いじめ」とは何を指していうものなのか、本当にわかっているんだろうかという疑問を感じました。

『大辞林』にはこうあります。
「いじめ[苛め・虐め] 自分より弱い立場にある者を,肉体的・精神的に苦しめること。」

つまり「相手を苦しめること」だというのですが、もしかするとこの程度の言葉の定義だけで「いじめ」を捉えてはいないでしょうか。

本当に人を苦しめ、自殺にまで追い込んでしまうという「いじめ」とは、単に「苦しめること」などというような漠然とした言葉で言い表すことはできません。

『パーミストリー 〜人を生かす意志の話〜』でも書いたことですが、私たち人間が本当にやってはいけない “いじめ” とは、相手の居場所を奪うことです。

居場所とは、人として人の中に生きるために必要な精神的に安堵できる場所、つまり、人との良好で継続的な関係のことです。私たちの誰もが、ただひたすらそれを求めて生きているといっても決して過言ではありません。

人を自殺に追い込むほどのいじめとは、その居場所を奪い、相手の存在を無視したり積極的に否定したりすることなのです。単に「苦しめる」というようないい加減な理解では、いじめの本質は理解できません。

また、「人間の尊厳」というものも、やはりこの居場所のことに他なりません。これを誤解して「相手を尊敬すること」だとか、「相手を大事にすること」だとかいったところで、子どもたちどころか、大人でさえ「尊厳」の本当の意味は理解できないままになってしまうでしょう。

いじめをなくすこと、正しい道徳教育を行うこととは、つまりは、互いに居場所を尊重し合うことなのです。