2014年1月8日水曜日

幸せになるには、まず主人として持ち物を従えることから

幸せになる方法、コスモロジカルパーミストリーのパームズネットです。

次のように、 “持ち物” との不幸な関係/幸せな関係、というものがあります。

不幸な関係
・持ち物が自分より強い
・自分が持ち物を自由に使えていない
・自分が持ち物に使われてしまっている
・自分という存在よりも持ち物の方が大事になっている

幸せな関係
・自分のほうが持ち物より強い
・自分が思い通りに持ち物を使えている
・自分が持ち物に使われてしまうことがない
・持ち物より自分という存在のほうが大事

まあ、同じようなことを繰り返して並べたようにも見えますが、要するに・・・

“自分が主人として持ち物を従えているか”
“自分が持ち物に使われてしまっていないか”


・・・ということです。

たとえば “足” という持ち物で考えるとよくわかります。

ずっと歩いていると足が疲れます。ところが、同じ体力、同じ道、同じ距離を歩いても、すぐ疲れる人、なかなか疲れない人とに分かれます。

疲れない人は、足を持ち物として従え、自分はその主人として足を使っています。

それに対して、足から来る「ああもう疲れてきた、大変だ」という信号に自分が潰されてしまうと、すぐに疲れてしまってあまり歩くことができません。

長く楽に歩くには「足さん、足さん、私をずっと遠くまで運んでおくれ。私はお前に乗って運ばれるからとても楽だよ、ありがとう」という信号を、自分の方から足の方に送ると良いかもしれません。

自分の持ち物とはいっても、その持ち物があってくれることに感謝して、その持ち物の機能や能力を尊敬して、その持ち物に対して「ああ、お前はすごいなあ、立派だなあ、お前のおかげでどこまでも行くことができるよ、本当にありがたいなあ」と思うことによって、足の持っている能力は最大限に発揮されるのです。

それに対して、少しの疲れを感じても、その疲れの信号が自分に押し寄せることを「嫌だなあ、疲れるなあ、大変だなあ、どうしてこんなにつらいんだろう、勘弁してほしいなあ、誰のせいでこんなに歩かなきゃいけないんだろう・・・」というように感じたり、思考したりすると、ろくに歩くことができません。苦痛ばかりに意識が向いてしまって、歩くことが苦痛で苦痛で仕方なくなってしまうのです。

私たちが単に生物学的な個体であると考えてしまうと、頭も体も足も、一個の個体という不可分な存在でしかなくて、足=自分、頭=自分、体=自分・・・ということになってしまいます。そのように感じていたり、そのように考えたりすると、持ち物との幸せな関係を保つことが難しくなるようです。