2013年11月23日土曜日

法王猊下の理想を実現するためのA思考

幸せになる方法、コスモロジカル・パーミストリーです。

ダライ・ラマ14世法王猊下のお経とお話を拝聴する機会を昨日静岡市の日本平ホテルにて与えていただきました。

「ダライ・ラマ」というのは「 ཏཱ་ལའི་བླ་མ་, taa-la’i bla-ma 」というのがチベットの発音で、法名は「テンジン・ギャツォ(བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་ Bstan-'dzin Rgya-mtsho)」、映画のタイトルにもなった「クンドゥン」(敬愛・親愛を込めた尊称で「尊いもの」、「存在=Presence」というような意味。法王猊下とも意訳される)とも呼ばれるそうです。

チベットは戦前より日本と友好国で親日的なお国柄でもありましたが、戦後中華人民共和国により侵略され、また多くのチベット国民が虐殺され、「中国の一部」とされてしまいました。猊下も大変なご苦労をなされてインドへ亡命され、非暴力を貫いて、思いやりや平和の尊さを説いておられます。

「暴力によって築くことができるものは一時的なものにすぎず、思いやりによって築いたものは永遠に続く」ともお話しされています。

書籍『パーミストリー 〜人を生かす意志の話〜』や『パーミストリー講座』で伝えてきていることもまた、猊下のお話と意味や方向の一致するものですが、便宜的にこれを “肯定思考” の話とします。

肯定思考の話では、A思考とB思考の識別ができれば幸福や成功が得られるとしています。A思考(肯定思考そのものによる思考)には、正しい意味での “愛” や “思いやり” といった概念、または精神状態が全て含まれます。

猊下はまた、「怒りの感情は、思いやりと共存できない。思いやりを持ち続けるためには、怒りを抑えなければならない」とも語られています。

“怒り” については、肯定思考の話の中では、一時的には必ず発生してしまう “反応” に過ぎないことを説いています。それは、すねを椅子にぶつけた時の “痛みに対する反応” と同じような性質のもので、自分の平穏な精神が何らかの痛烈な攻撃を受けたとき、私たちは “精神的な痛み” を感じます。すねをぶつけて「いたたー!」と声を出しすねをさするのと同じように、精神的な痛みを受ければ「むかーっ!」と頭に来たり腹が立ったりします。それでつい「なにをー!」と声が出たりもするのですが、できればそこは声を抑えて、せいぜい顔の表情に少し出るぐらいのところでストップをかけられたらいいですね。

たとえそこで声が出てしまったとしても、重要なのはそこから先の思考です。

つまり、そこから先には、決して思考を使わないということです。そこから先の思考こそがB思考だからです。B思考は精神的な痛みをやわらげるためという “正当そうな理由” を得ることで、ここぞとばかりに考えたい放題に思考を回転させてしまいます。自分がいかに正当か、相手がいかに間違っているか、自分の欲求はなにか、相手に要求するべきことはなにか、相手にどうしてほしいか、もう二度と相手にそんなことを言わせい/させないようにするために何を言わなければならないか・・・というような調子で、次から次へと思考は展開していってしまうのです。

その思考はすべてB思考ですから、いくら考えてもなかなか怒りは収まりません。それどころかほとんどの場合、怒りが増幅してしまいます。本来一時的なものにすぎなかった怒りは、B思考によって「ここで怒ることは正しいことである」と、肯定されてしまうのです。肯定された怒りはやむことがありませんから、その怒りは正当性を得て増幅するということになるのです。これがB思考の恐ろしいところです。

B思考によって発する言葉や行動で相手を静かにさせたり、相手を自分の意向に沿うように変えたりできるかといえば、むしろ相手をますます悪くして対立が深まってしまいます。そして自分もさらに悪くなるばかりです。そうしてまたさらに “考えるべきこと” が増え続けます。それは全てがB思考ですから、 “Bスパイラル” という泥沼の悪循環に陥っていきます。

何より重要なことは、怒りそのものではなく、怒りに始まるB思考なのです。B思考は自分で自覚することができます。ちょっと注意していれば、自分の思考がA思考なのか、B思考なのかは、誰にも判別ができるのです。

いつも判別するように努めること。必要なことはそれだけだといっても過言ではありません。今の自分のしている思考がB思考だなと気づいたら、その思考をただちに止めるのです。怒りの表情や言葉を相手にぶつけてしまったときには、そこから始まりそうなB思考をやめて、相手を喜ばせるためのA思考に徹することも必要になります。

いずれにしても、法王猊下のような特定の宗教の指導者というお立場からのお話に世界の全人類が共感するということは、是非そう望みたいものだとは思ってもなかなか難しいものがあります。

世界には様々な文化があって、宗教もあります。「寛容」「愛」「思いやり」といった、全人類が共有すべきそれぞれの思考や精神があるわけですが、それら思考や精神を言葉によって表して伝えるとなりますと、各地の文化・宗教・風習などによって、様々な色合い(ニュアンス)に変わってしまいます。色合いが変わることによって、理解して実践すべき大切な意味に、正確な一定のワクを決めることが困難なのです。それが現実と言わなければなりません。

肯定思考の話における “A思考” と “B思考” は、思考や精神のあり方を、正確に一定のワクにして世界中で共有することのできる、非常に有効な言葉となります。この言葉によって、無益な思考を止めて、有益な思考を伝え合うことができるようになれば、宗教などという苦しい制約から完全に自由になって、世界は人類共通のA思考を共有し、間違いなく平和になるものと考えます。

筆者が望んでいるものは、世界中が正しい思考を共有できる時代が来ることです。