2013年11月12日火曜日

自分を苦しめるのは、相手の言葉でなく自分の思考

幸せになる方法、コスモロジカル・パーミストリーです。

今回は、「言葉は何より重いもの」だとか、「言葉には言霊が宿る」だとかいった考え方を改めましょうという話です。

すでにここでも書いている通り、私たちの思考には〈A思考〉と〈B思考〉という、二通りの思考があります。

もし〈A思考〉から来る言葉であるのなら、それには目に見えない大きな力が宿ることもあるかもしれません。

しかし、もしそれが〈B思考〉から来る言葉であるのなら、それは思考による思考のための言葉であったり、発した人の移り気や、感情や思考から来る変わりやすい言葉だったりするにすぎません。つまり、聞き流してもさして問題はない言葉にすぎないのです。

言葉の全てが重いものだと受け止めていたら、毎日が息苦しくて生きて行くのが大変になってしまいます。鬱になってしまう人に共通していることも、 “たかが言葉なのに、真面目に受け取り過ぎる” ということがあります。

言葉は思考の表出です。思考は言葉によって固まります。言葉と思考とに、さほどの区別は必要ありません。ただもやもやと浮かんできただけの感情や衝動も、言葉という道具を一切使用しなければ、思考という形にはなりにくいのです。言葉は思考であり、思考は言葉であるといって語弊もないだろうということです。

言葉も思考も感情も、衝動も情念も、どれもみな変わりやすいものなのに、どうして人はそれに特別な重い価値を与えようとするんでしょうか。それはつまり、思考を何よりも尊いと考えてしまうという、根本的な思い違いから来ていることです。考える主体=自分ということで間違いありませんが、それは決して、思考=自分ではありません。思考はどこまで行っても、自分の道具でしかないのです。食べる時に感じる味覚というものがあって、それによって口に入れたものを味わうことができるんですが、味覚=自分ではありません。味覚は自分の数ある持ち物のひとつです。思考もまた、数ある持ち物のひとつです。

自分を傷つけるつらい言葉を投げかけられたとき、どうかそんなものを大事にしないでください。言葉が重いものだとしても、それがどれぐらい重いのかと冷静に考えてみれば、せいぜい一時的な不快感を呼び起こす程度のものでしかないのです。一時的な不快感を、一生の不愉快や、一生の苦労にしてしまうのは、言葉の受け手による思考なのです。

つまり、自分にとって最大の敵となるのは、相手の言葉ではなく、自分自身の思考だというわけです。もしこれが理解できるようになれば、あなたの人生にとって怖いものが大方なくなってしまうことでしょう。あとは明るい未来ばかりです。