2013年8月29日木曜日

百年は長いか短いか

幸せになる方法、コスモロジカル・パーミストリーです。


日本が敗戦したのが1945年。私が生まれたのはそのわずか15年後の1960年です。「もう戦後ではない!」と叫ばれた時代ですが、いえいえ、まだまだ戦後だったんだろうと思います。現在2013年ですが、15年前といえば1998年。五十を過ぎた「初老」の感想からすれば、15年前なんてごく最近のことに過ぎませんから。

いくら高齢だといっても、今生きている人の中で最高齢の人が生まれたのはせいぜい19世紀末のことです。日本の年号でいえば、ぜいぜいが明治三十年代です。江戸時代に生まれた人というのも、私が子どもの時分にはまだ稀にご存命だったりしたものですが、今はさすがにいません。これからまた十年、二十年と経てば、明治生まれの人はいなくなって、最高齢でも大正生まれになり、さらに年月が経てば、大正生まれの人もいなくなります。

それはさらに繰り返されていって、昭和生まれがいなくなり、いずれ平成生まれだっていなくなりますし、さらに未来では、20世紀生まればかりか、21世紀生まれの人だっていなくなるのです。

日本人なら誰でも知っている文豪、夏目漱石は、1867年2月9日の生まれです。年号でいえば慶応3年、江戸時代に生まれた人です。今この2013年を生きている私たちからすれば、すごい昔に生まれた人なんだと思うところですが、松尾芭蕉は寛永21年(1644年)の生まれです。夏目漱石と同じ江戸時代の生まれですが、もし松尾芭蕉が生きている時代にタイムマシンか何かで出かけていって、「夏目漱石って知ってますか?」なんて聞いても、松尾芭蕉が夏目漱石を知ってるわけもありません。何しろ二百年以上も未来に生まれた人なんですから、いくらそれが文豪だなんて言われてもわかる道理がありません。

夏目漱石は約五十年生きました。松尾芭蕉も同じく約五十年生きました。「え? たったの五十年?」と思ってしまいます。上の肖像を見ても、どちらもヒゲを生やしていたりして、お爺さんみたいにも見えますから、五十年は意外です。

これを書いている私は今53歳で、まだまだ若手のつもりです。今どきは八十歳で死んでも早すぎるとか言われてしまうご時世ですから、五十で死んだのでは若すぎるどころの騒ぎではありません。三浦雄一郎さんは今年、八十でエベレストに登頂してくれましたから、たったの五十年しか生きられなかったのか、何という残酷なことなんだと仰天してしまいます。

ではここで仮に人生百年だとしましょうか。百年は長いでしょうか、短いでしょうか。これもちょっと考えてみる価値はありそうです。