2013年6月6日木曜日

値打ちのない論文

幸せになる方法、コスモロジカル・パーミストリーです。


哲学、言語学、経済学など、文系学問を研究している先生方の論文、というのがあります。論文ですから、事実を集めて、客観的、論理的に論じるのはもちろんのこと。ところが、その「事実の集め方」には問題がつきものです。どんな問題か、以下、簡単に例をあげます。

テレビにもよく登場する経済学のH教授。1ドル70円台のころに本を書きました。どんな本かというと「1ドルは50円台になる!」という内容の本です。

ところが民主党から自民党に政権が戻って、アベノミクスで1ドル100円台になってきました。H教授としては、当然、面白くないはずです。自分が客観的な事実を集めて論理的に分析して論じた「1ドル=50円台説」が脆くも崩れたんです。そのままでは自分が「嘘つき」呼ばわりされてしまいますからね。

H教授は安倍内閣の政策を批判しました。「アベノミクス」ではなくて「アホノミクス」だ!というんです。冷静を装っても、教授が感情的になっていることは明らかです。さらに教授は、アベノミクスがなぜだめなのか?について、きっとまた客観的な議論をしてくることでしょう。

しかしその議論、初めから結論が決められているかもしれません。それは、「アベノミクスは失敗する」という結論です。教授はその結論を導くために、様々な客観的事実を材料として、証拠として、集めてくるかもしれません。そして最後に、さも信ぴょう性があるかのように、「アベノミクスは失敗する。」と結ぶのではないでしょうか。

これを書いている現時点ではまだ、アベノミクスが本当に成功するかどうかはわかりませんが、少なくとも1ドル100円前後で為替は動いています。H教授の言うように、アベノミクスが失敗して、1ドル50円台に、本当になればいいですが、もしその可能性がほとんどなくなったということなら、H教授は事実を正視する姿勢を取らずに「自分の正当化」を目的に議論をしていることになってしまいます。

論文とはいっても、そのようなものを書くこともできてしまうわけですね。

自分はこんな結論を出したい。だからそのために様々な事実を集めたい。集めた事実から、自分が出したい結論を「正しい結論」としたい。

論文が論文であるためには、「反証が可能であること」という条件があります。つまり、集めた事実が本当に事実であると証明できる必要がありますし、読んだ他の学者が反論する余地を残すことも必要なんですね。

そのような、論文としての条件を仮に満たしていたとしても、よろしくない論文というものがあって、それがつまり、自分が思い描いた結論、つまり自分の願望を結論にしたものなんですね。

論文というと、ちょっと難しい話のようですが、これと同じことを私たちもよくやっていたりします。

例えば、ある奥さんが新しい洋服が欲しいと考えたとします。しかもそれは高価で、普通なら3千円でも買えるところを1万円するものが欲しいと考えました。旦那さんはいつも2千円ぐらいの服を着て倹約していますから、奥さんが服に1万円つかうことを簡単に承知してくれるかどうかわかりません。

そこで奥さんは、1万円の服を買わなければならない理由を集めます。同窓会でもあれば話は早いところですが、それはありません。さあ困りました。もしあなたなら、どんな理由にするでしょうか?

ここでのポイントは、「先に結論、後から理由」ということです。私たちは日ごろ、自分の利己的な願望を満たすために、もっともらしい理由を見つけようとしてしまうことがあるということですね。

論文も、正しい論文なら、「先に事実で後から結論」になるはずなんですが、それが逆になって「先に願望、後から理由」ということになってしまうと、論文としての値打ちは下がってしまいます。

学者であれば、値打ちのない論文は書かないようにしたいもの。同じように、肯定思考で身近な人たちの存在を肯定し、人を生かすことで自分も生かされようとするのであれば、自分だけの願望を満たすための理由集めはなるべく避けたいものですね。最悪の場合、嘘つきになってしまいますからね。